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この頃の私は、人生で一番安定していた。
収入は少ないけれど、キャンペーンの仕事を続けられている。
仕事仲間は友達になり、彼女たちと飲んだり遊びに行くようになっていた。
ゴスペルを歌うことは生きがいであり、ココロのよりどころ。
カナダに行くユメもある。
恋愛の他にもやりたいことやできることはたくさんある―。
それに気づいた私は、充実した日々を送っていた。
その一方で、誰かをすきになることを避けていた。
あきらめてもいた。
何人かとデートをしたり告白されたことはあったが、すべて拒んでいた。
まだ、過去のことを忘れられなかったから。
あんな激しい自分を見せることができるヒトは、後にも先にも1人しかいないだろう。
そして、そんな自分にはもう、なりたくなかった。
自分にブレーキをかけること。
そうやって自分を保つ術が板につくようになっていた。
精神疾患を抱えた私なんか、愛してくれる男性はいないだろう。
だったら私が持っている愛情を、まわりのヒトタチに与えよう。
キャンペーン先でティッシュを配りながら、そんなことを考えていた。


2004年2月

25歳の誕生日は、火曜日だった。
週の前半だから、キャンペーンも休みだ。
友達はたいがい仕事だろう。
だけどあいつなら、もしかしたら空いてるかも知れない。
私はあいつにメールを送り、約束を取り付けた。
「自分と会う当日が誕生日のヒトには男女問わずプレゼントをあげている」
それならいっそ、チャームがついたネックレスかブレスレットを買ってもらおう。
でもバレンタインも近いし、チョコでも買ってやるか。
私が選んだチョコレートは、リシャールの詰め合わせだった。
かわいいイラストがプリントされている1口大のチョコレートに惹かれての指名買いだった。

私とあいつを含め、共通の友達との待ち合わせ場所の定番と化した新宿東口の交番前に現れたあいつは、仕事帰りだった。
留め具の部分が金属のグレーのコートは、あいつの服のなかで唯一センスを認めているものだった。
あいつと一緒に歩くのは、正直にいえば恥ずかしい。
待ち合わせ先であいつの姿を見つけるたびに
(ああ、なんでこのヒトはこんなに身なりを構わないんだろう・・・)
と失望するのだ。
それでも今日はあのコートを着ていることに少しほっとし
「プレゼントは?」
と聞いてみる。
「まだ買ってない」
「えーっ」
「じゃあ買いに行こ」
私はあいつを伊勢丹に連れ出し、1階のアクセサリー売り場で物色しだした。
高いものが欲しいわけではない。
ほんとうは、数千円程度でいいのだ。
ましてやあいつは友達なのだから。
「これ、欲し~い」
冗談めかして指したそれは、パトリック・コックスのブレスレット。
チャームが5つくらいついたそれは、2万円強もする。
「高すぎるって。アクセサリーなんてMUJI(無印良品)でいいじゃん」
「無印のアクセなんて、聞いたことないもん」
「じゃあ行ってみる?」
「いいよ。絶対ないって保証できるから」
私達は無印にも行ったが、案の定アクセの取り扱いはなかった。
マルイのファッション館に移り、なおもアクセを探していると、どこの売り場にいても店員が声をかけてくる。
「ああいうおばちゃんは嫌いだ」
「おばちゃんじゃないでしょ。おねえさんでしょ」
たしなめながらも内心では同じことを考えていた。
店員たちをうっとうしがりながらアクセを探していると、1人の女性の店員が歩み寄ってきた。
「いらっしゃいませ。結婚指輪をお探しですか?」
「・・・違います」
恥ずかしがりながら小声で答える私と同意するあいつ。
この売り場にいる男性の多くはカップルで来ている。
そういう関係じゃないのに・・・。
照れくささを打ち消すべくファッション館からヤング館に移り、そこでようやくプレゼントを手にした。
シルバーのチャーム2つと、ネックレスチェーン。
チャームは私の名前の頭文字と、私の星座である水瓶座をかたどったものだった。
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数日後、私は池袋のジュンク堂の旅行書コーナーにいた。
購入した本は3冊。
『地球の歩き方 カナダ東部』
『地球の歩き方 成功する留学 カナダ』
『ワーキングホリデーinカナダ』
語学留学にするか、ワーホリにするかはまだ決めていなかった。
違う環境に自分を置くこと。
それは「やりたいこと」から「やらなければいけないこと」になっていた。
渡航の準備が全部整った頃、あいつに告げよう。
どんな顔をするだろう。
きっとものすごく驚くだろう。
あいつをぎゃふんといわせてやりたい。
通勤ラッシュの満員電車で買ってきたばかりの本を開きながらその瞬間を想像し、ほくそ笑んだ。


2003年12月

シーに行きたいとリクエストしたのは、私だった。
一緒に行く相手が誰であろうと、まだ想いの残るヒトと行ったディズニーランドには行きたくなかった。

いま思えば、それは口実だったのかも知れない。
「麻雀の副賞でディズニーリゾートのチケットを1枚だけ当てた」
というメールが来たのは、11月初旬のことだった。
「一緒に行く相手がいない」
そうのたまうあいつに対し
「女友達と行ってくれば?」
と返信したが、シーには少し関心があった。
あいつと行くのならいいだろう。
青く澄み渡った冬晴れの平日、私は初めてディズニーシーに足を踏み入れた。
数々のアトラクションを制覇し、パーク内を練り歩くミッキーやミニーを携帯のカメラに収めようと粘り、子供のようにはしゃいでいるうちに空は暗くなってきた。
大きなクリスマスツリーで写真を撮り、次はどこに行こうかと相談したところ、人気のアトラクションの1つだというセンター・オブ・ジ・アースに行こうという結論に達した。
暗いなかを猛スピードで上下する。
このまま吹っ飛ばされてしまいそうだった。
私は思わずあいつの手に自分の手を重ねる。
ごつごつとした大きな手は、私の手を握り返す。
このディズニーシー行きを境に、共通の飲み友達には私達が2人で会っていることを秘密にするようになっていた。
友達以上恋人未満。
そう形容される関係に、私達は既になっていた。
2003年9月

あいつから私の携帯にメールが入った。
映画の試写会の誘いだ。
懸賞か何らかで当てたらしい。
『リーグ・オブ・レジェンド』
という映画だという。
ショーン・コネリー主演のアクション映画。
普段の私だったら絶対といっていいほど観ない分野だ。
「ハリウッド超大作」という類の映画には全く食指が動かないが、タダより高いものはない。
映画の中身には全く期待せず、あいつから初めて誘われたという事実に少し浮き足立ちながら
「行ってあげてもよくってよ」
と、OKを出したのだった。
つよがった言い回しは、あいつや共通の友達と話す時の私のクセ。
そうでもしないと、内面がこぼれてしまいそうで怖かった。
当時の私は、やっと自力で立ち上がることに慣れ始めた時期だったから。
試写会は夕方からだった。
だが、その前に
「もしヒマだったら、女性同伴でないと行けない食べ放題に行きたい」
と、あいつは言う。
食べ放題は好きだ。
だが病気をして体重が落ちて以来、食べる量自体が減っていた。
モトが取れるか不安だったが、昼間からあいつと会うことにした。
週の後半が中心のキャンペーンの仕事を休んで。

数日後の金曜日、私とあいつは前と同じ新宿東口の交番で待ち合わせ、
TAKANOフルーツパーラーでランチを楽しんだ後、地下鉄丸の内線で銀座まで向かった。
試写会の時間まで、ゆうに3~4時間がある。
どうやって時間をつぶそうと考えたら、用があったことを思い出した。
先月行われた、キャンペーンの会社の社員の送別会での写真を現像するんだった。
その日は銀座の近くで、キャンペーンをやっている日だった。
私は、仲良くなりはじめた友達の佐和子がいればいいと思い、あいつと一緒にそこに向かった。

無事佐和子とも会え、写真の現像も済ませた私とあいつは、銀座に戻った。
佐和子と話すあいつを見て、あいつの人見知りは本当だと気づいた。
あいつは
「初対面のヒトと話すのは苦手」
と言う。
対する佐和子も半端ない天然娘。
事実2人の会話が噛み合っておらず、私にはそこがおかしかった。
自分の人見知りを棚にあげて、あいつと佐和子のやりとりを笑った。
試写会までは、まだ1時間くらいある。
私とあいつは本屋に入り、海外旅行のコーナーに向かった。
そこには『地球の歩き方』をはじめとした個人旅行本がずらりと並んでいる。
「カナダの本もあるよ」
あいつはカナダの本を手に取る。
私も、カナダの本をぱらぱらと読む。
「ほんとにカナダ行くの?」
「うん、行くよ」
あいつの問いかけに答えながら、私は本をめくる。

「でもあんた淋しがり屋だから『(カナダに)行くいく』と言いながら行かないだろう」

途端、私は頭がかーっと熱くなった。
私のことをよくも知らないくせに、なんてことを言うのよ!
あいつの言葉に、私は憤った。
私は、物事を中途半端で終わらせる名人だった。
小学校の時の家庭科の手芸は友達に任せてしまう。
勉強だって、中学校から教師からのいじめや、ラジオが面白いことを理由にやらなくなった。
そんな部分すら見透かされた気がしてならなかった。
「絶対行くもーん」
わざと口をとがらせてあいつの攻撃をかわしたが、内心は気恥ずかしさでいっぱいだった。

絶対、カナダに行ってやる―!

予想以上につまらない映画を見たその日、私は誓った。
2005.07.24 #4 相談
海外で暮らしたいと思いはじめたのは、あいつが帰ってきて少し経った頃だった。
そういえば私は生まれてから一度も海外に行ったことがない。
親元を離れたこともない。
いっそのこと海外で暮らしてみて、それから就職しよう。
それは、長い長いモラトリアム期間を締めくくるための決意。
行き先はカナダに決めた。
理由は、周囲にカナダに行ったヒトがいなかったから。
どうせ英語を覚えるなら、きれいな発音を身に着けたい。
さいわい、貯金はある。
5年前に会社勤めをしていた頃、一人暮らしをするために貯めていた55万があった。
私は早速留学フェアに赴いたり、ネットで調べたりしはじめた。
こういうことは思い立ったが吉日だ。
来年には出発したいと思っていた。
しかし、病院の先生に相談したところ
「慣れない環境で生活するのは、もうちょっと待った方がいい」
という診断が下ったのだ。
私は、携帯のキャンペーンのバイトをしながらその時を待つことにした。
それにしても周囲にこのことを相談できる人間はいただろうか?
なんだ、身近にいたじゃん・・・。
相談相手はすぐに思い浮かんだ。
私は、そのヒトにメールで連絡を取り、会うことにした。


2003年7月

私はあいつと新宿東口の交番前で待ち合わせた。
その日は月曜日。
彼は仕事で、私は休みだった。
私たちは、近くの創作料理の店に入った。
断っておくが海外に行きたいと思ったきっかけは、あくまで私の個人的な事情である。
「海外で暮らしたくなったから、いろいろ話を聞きたい」
と相談するために呼び出したのだが、実際そんな話は最初に少し出ただけだった。
どんな事柄から手をつければいいのかすら、当時の私にはわからなかったのだから無理もない。
私たちはとりとめもない、ばかばかしいと思える話ばかりしていた。
その時、私の携帯が鳴った。
電話の主は1歳年上の会社の内勤の男の子。
彼は特に親しい飲み友達の1人。
憎まれ口を叩きあいながらも、よく電話もしていた。
「いま大丈夫?」
と聞く彼。
今週の仕事のことだろう。
毎週月曜日にはこの類の電話がかかってくる。
ちょっと都合の悪いタイミングに電話がかかってきたと思った私は
「だぁめ」
と答えた。
「いま、デートしてるの」
そう言って電話を切り、私はあいつに向かってにっこりと微笑んだ。
もちろん、これはジョークだ。
冗談からコマとも言うべきことが、その後を決定付けた。
2003年5月

あいつから帰国するというメールが入った。
5月7日 15時
いや、15時30分だったかも知れない。
その便であいつは日本に帰ってくる。
さいわい、その日は仕事も休みだ。
私は

>5月7日は不幸にも休みです。
>成田空港にとびきりいい女がいたらそれは私。
>公衆電話から携帯鳴らしましょう。
>それでは、残り少ないNZデイズを満喫してきてください。

と返信し
「迎えには来なくていい」
と渋るあいつを尻目に、京成スカイライナーに乗って成田空港まで出かけてしまった。
成田には大学生の友達も来ることになっている。
1人で迎えに行くほどの関係ではないから、友達を誘ったのだ。

成田空港の空港第2ターミナルに着いたのは、2時半過ぎ。
少し早く着きすぎたが、余裕は持っておいた方がいい。
私はしばらく周辺をうろついてから、到着コンコース最前列のベンチに腰掛けた。
ここならあいつも私たちをすぐに見つけることができるだろう。
やがて大学生の友達と合流し、2人であいつの帰還を待つことに。
この時のために友達が用意したギャグに笑いながら、私は少しどきどきしていた。

(あいつと再び会った時、なんて言おう…)

素直に
「おかえり」
と、暖かく言うところを想像してみる。
途端に恥ずかしくなった。
ダメだ、こんなこと言うのは照れる。
顔で笑って内心葛藤しているうちに、約束の時間が来た。
電光掲示板があいつの乗った飛行機の到着を知らせた。
いよいよ、あいつが帰ってくる…!
どんな姿になっているんだろう。
今より太っただろうか?
痩せただろうか?
髪型は?
変わってないだろうか?
あいつと同じ飛行機の乗客たちの中から、私はあいつの姿を探す。
いない―。
果たして合流できるのだろうか。
不安にかられたその時、足の指あたりが痛んだ。
カートで私の足をつつかれた。
カートに荷物をたくさん詰め込んだそいつは
(相変わらずばかだなあ)
という調子で笑っている。
あいつだった!
短髪で真っ黒に日焼けしている上に、痩せていたから一瞬わからなかった。

ここからのやりとりは、覚えていない。
覚えているのは、2つの事柄だけ。
その後成田から3人で新宿行きのリムジンバスに乗り、車内で写真を見ておみやげ話を聞いたこと。
新宿に着いてから、あいつが100円の漫画雑誌を買ったこと。
今日行ってきた成田から、私もいつか海外に向けて出発するだろう。
私は、海外での生活に憧れ始めていた。
2005.07.04 #2 男友達
どうしてそう感じたのかわからない。
離れてしまうけど、あいつとは友達関係を続けていきたかった。
たった今、そんなヒトに出会えただけ儲け物だったことに気づく。
そして、その頃から多少なりとも異性として見ていたのだと思う。
意地を張って接していたから、そのことに気づかなかった。
それは、自分自身を保つために得た知恵。

私は、心療内科に通っている。
心療内科とは名ばかりで、実質は精神科。
私の病気ももちろん、それだった。
幼い頃から溜め込み続けたストレスが爆発したのは、21歳の頃。
10代の頃から抱えていた虚無感に加え、ひどいうつ状態と苛立ちが私を襲った。
その当時の自分は、つねにむき出しの状態だった。
自分をさらし過ぎたあまり、人間関係を続けられなくなったヒトもいた。
むき出しの自分を出すのは、それだけ傷も負う。
傷つかないために、自分のことを語らないでいる必要があった。
ひと見知りをするようになったのも、その頃から。
私は、良く取ればミステリアス。
悪く取れば、何を考えているのかわからない。
そう取られる人間になっていった。


2002年5月

あいつはニュージーランド行きを目前に控えていた。
私は飲み会で会った大学生と介護士の男の子2人を巻き込み、あいつの壮行会を開こうを持ちかけた。
もう1度あいつに会いたかったから。
壮行会当日、私たちは新宿に集まり飲んでカラオケに興じた。
あいつとカラオケに行ったのは、そのときが最初で最後。
あいつの歌はお世辞にも上手いとは言えなかった。
それでも昔バンドをやっててベースを担当してたなんて、片腹痛いもいいところだ。
私は上機嫌でミシェル・ブランチの『Everywhere』などを歌い、ふざけてあいつのスニーカーを奪って履いた。
私からスニーカーを取り返そうとするあいつ。
友人たちは、私達のことをからかい、私は
「そんなことないよぉ」
と否定する。
それでも、家路に着くべく新宿駅に消えるあいつを見て内心少しせつなくなってた。
ニュージーランドに行ったあいつからは、たまにメールが来た。
「向こうで好きなヒトができて告白したけど、フラれてしまった」
なんて文面を読み
(ばっかでぇ!!)
と笑った。
1年近くが経ち、また春が来た。
2005.07.04 #1 出会い
あいつにふられて1ヶ月が経った。
1ヶ月じゃなくて2ヶ月か3ヶ月くらい経ってる気がする。
自分自身で気持ちの整理をすべく、あいつとのことを書き記しておこう。


2001年の12月

あいつと初めて出会った頃、私は当時23歳だった。
4年前の12月に行われた飲み会の席でのことだった。
平日休みの人間が対象の、インターネット上のサークルの飲み会。
当時私は携帯電話のキャンペーンの仕事をしており、休みは平日だった。
飲み会の5日前、私はすごく好きだったヒトとの関係を終わらせたばかり。
気晴らしがしたくてしょうがなかった。
はじめてあいつに会ったときのことは、あまり覚えていない。
あいつは仕事で遅れて参加してきたんだった。
ボタンの部分が金属のグレーのコートを着て、ややモード系を思わせるバッグを持ってた。
(ヤセればカッコいい方だろうな)
というのが素直な感想だ。
年齢は28歳。
私より4歳年上だ。
あいつは私からそう遠くない席に座った。
来年、ワーキングホリデーでニュージーランドに行くらしい。
ワーキングホリデーなんて制度は名称しか聞いたことがない私にとって、別段興味をそそられることはなかった。
(そういう生き方もあるのね)
と思った程度。
それ以外はどんな話をしたか記憶にない。
ただ私が
「5日前に失恋したばっかなの」
と、やたらハイになって喋っちゃったら、みんな少し引いてたことぐらい。

次にあいつと会ったのも、やはり飲みの席。
2次会でおとなっぽい雰囲気のバーに行ったとき、私はあいつと隣の席になって初めて1対1で喋ったんだっけ。
あいつは少し酔っていて、目がとろんとしていた。
そして
「俺のIDに入っている数字のルーツは、インターネットを始めた年齢なんだ」
と、ネット上で使っているIDのルーツや
「ワーホリに行くチャンスは過去に2度あったけど、家族の病気で断念せざるを得なかったんだ」
と、ワーホリまでの経緯を熱く語りながら、やたらカラダをくっつけようとしてきたのを覚えている。
カウンター席であることをいいことに!
(ちょっとこの飲み会、男の質が悪いかも)
と、その飲みに参加したことを悔やんだこと程だった。
事実、その飲み会は主催者が暑苦しいほど仕切りたがりで、私は苛立っていた。
初めての参加した飲み会でトイレに行こうとした時、他の参加者の男に店の通路内でも目立たない死角というべきところに連れていかれ
「携帯の番号を教えてよ」
と、迫られて嫌な思いをした。
当然、その事実を主催者に伝えたが、彼は誠実な対処をしてくれなかった。
幸いにもその男は1回参加しただけで来なくなったが、以来しこりを残したのは言うまでもない。
私は自分の身を守るべく、その飲みの場ではあえて高飛車な態度をとるようになった。
それでもほとんどのやつらとは気が合わなかった。
あいつとその他の2人以外は。
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